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Suguru ito

​Suisse based pianist • fortepianist


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Une occupation inutile

17/5/2021

 
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First page from Maurice Ravel‘s Valses nobles et sentimentales pour piano (©︎ 1911 Éditions Durand, Paris) with a quotation of Henri de Régnier (1864-1936), French writer.|Collage ©︎ FAE

モーリス・ラヴェルの『高貴で感傷的なワルツ Valses nobles et sentimentales』(1911年出版) を弾くピアニストなら必ず目にすることになる一節。アンリ・ド・レニエの小説からの引用らしいが、これをとびきりの傑作の冒頭にわざわざ印刷させたのは作曲者の照れ隠しか、あるいはひそかなモットーだったのか。いずれにせよ、自分にとっての畏敬の人が「至福で常に新しい無益な没頭」に酔い痴れる粋にしびれる。


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Titel page of Bach‘s Clavierübung [part 1] Opus 1, consisting of a set of six clavier partitas. First edition published at his own expense in Leipzig, 1731.

65年の生涯にバッハが出版できた作品の数はごく少ない。1726年に自費出版した『クラヴィーア・ユーブング: パルティータ第1番 Clavier-Übung: Partita I』と、そのあと1730年までに徐々に発表していった残り5曲のパルティータを一冊にまとめ “OPUS 1"と表記して自ら世に問うたのが1731年、バッハ46歳の時であった。それ以前に完成されていた二つの受難曲、数多くのカンタータ、ヴァイオリン協奏曲集、ブランデンブルク協奏曲集、管弦楽組曲、平均律クラヴィーア曲集第1巻、膨大な数のオルガン曲を見渡すたびに、全盛期のバッハの名作揃いに圧倒される。それにもかかわらずクラヴィーア・パルティータ集が「作品番号1」というのも腑に落ちないが、当時は出版された作品 (しかも器楽曲) に限り作品番号が許されるという奇妙な慣習があったようだ。しかし音楽の父と謳われるほどの人が私家版を出さねばならなかったなんて、もったいない話ではある。


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14 Canons BWV 1087. Autograph in Bach‘s personal copy of part IV of the Clavierübung (Paris, Bibliothèque Nationale. Ms. 17669)

1741年、晩年の大作『ゴルトベルク変奏曲』がニュルンベルクの出版社の手で日の目を見てから230余年経った1975年、フランスのストラスブールで歴史的大発見があった。バッハが自分用に所有していたゴルトベルク変奏曲 (Goldberg-Variationen)の出版譜の最後の空白ページに、ところ狭しと書き込まれた直筆の『先のアリア (註: 変奏曲の主題) の低音部の初めの8つの音符にもとづくさまざまなカノン Verschiedene Canones über die ersten acht Fundamental-Noten vorheriger Arie』が見つかったのだ。これらの2声〜6声による14曲のカノンは、いずれもヒントとなる楽節と簡単なタイトルが記されており、われわれは独自の解答を探りながら楽譜にするなり奏でるなり、そんな遊び心満載の “なぞなぞカノン集" である。発見されて間もなく、ミュジコロジストの手によって解読された譜面も公表されたのだが、これをいったい誰が解けるのだろうと思うほど手の混んだ “カノンの技法集大成" と呼ばれるべきものである。このうち第11番のカノン (Canone doppio sopr’ il Soggetto) は友人のアルバムに1747年10月5日の日付で書き込まれたバージョンが知られているほか、1746年に描かれたあの有名な肖像画でバッハが手にしている楽譜が第13番の6声カノン (Canon triplex à 6 Voc.)である。弟子たちや家族がこのカノン集の存在に言及した記録は残っていない。ひょっとすると遊びが高じて完成したこの息をのむほどの思考の迷宮を、バッハはいずれゴルトベルク変奏曲の改訂版に付随させようと意図していたのかもしれない。

​カノンの数が14曲というのは、B(2) + A(1) + C(3) + H(8) = 14 という数秘術による。さらには、最後のカノンの下に etcetra の略字が見えるから、それがまた「カノンなんてこうしていくらでも出来ますよ」と示唆しているようで愉しい。人知れず、ひっそりと部屋に籠り至芸の極限にひとり悦に入る老バッハの姿、これぞ粋の極み。


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Franz Schubert with Franz Lachner (left) and Eduard von Bauernfeld drinking wine in Grinzing - drawn from memory in 1862 by Moritz von Schwind (1804-1871), the Vienna-born artist and a close friend of Schubert.

フランツ・シューベルトが残した珠玉の交響曲(8曲)は生前どれ一つとして出版されることはなく、そもそも初演された痕跡すらない。シューベルトの傑作の一つ、『ザ・グレイト Die große C-Dur』の名で呼ばれる第8交響曲 D. 944 は作曲者の没後11年目にフェリックス・メンデルスゾーンの指揮で初演されている。かなり早い頃からシューベルトの音楽を冗長であるとして、部分的に端折って演奏する向きがあったことは周知の事実だが、ライプツィヒでの初演では、さすがはメンデルスゾーン、一切の短縮なしに全曲を60分かけて演奏したと伝えられる。しかし彼がこの交響曲を引っさげてパリ(1842年)とロンドン(1844年)に客演した折には、長大で難解すぎるという理由で双方のオーケストラから演奏を拒絶されたという(!)

つくづく作曲家とは古来、曲を生み出すという偉業のわりには取り立てた栄誉も儲けもない生業ではある。

米国へ亡命後、不遇の晩年を生きたハンガリーの作曲家バルトーク・ベラにとってイェフディ・メニューインからの作曲依頼は大きな救いだったろう。しかし、喉から手が出るほど入用だったはずの謝礼について、この無冠の貴人は一言も口に出せず。無論、音の天使メニューインも金のことに言及することなどすっかり忘れていた。

金銭へのある種の羞恥。終生火の車の家計。湧きあがる音の泉。

1938年夏、バルトークはベニー・グッドマンとヨゼフ・シゲティからクラリネットとヴァイオリンとピアノのための「6分程の曲」の依頼を受ける。最終的に、3つの楽章から成る 『コントラスツContrasts』(16〜17分!) が完成。この3人による1940年の録音も残されている。「誂え物は大抵、期待より小さかったりする。逆もある。子供服を注文したら紳士服が出来てくる。しかしこの種の寛大さは場違いなことが多い」とはバルトークの自虐的釈明。
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