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Suguru ito

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メトロノーム奇談の時代

8/9/2020

 
Picture
Beethoven: Grosse Sonate für das Hammerklavier, beginning of the first movement, Viennese first edition by Artaria, September 1819|Photo ©︎ FAE

≪ メトロノームと振り子 ≫

スコラ・カントルム・バジリエンシスでの恩師ヨハン・ゾーンライトナー ( Johann Sonnleitner) 氏がベートーヴェンのメトロノーム取り扱いに関する貴重な序文を寄せておられるウィーン原典版 (Universal Edition) の『ハンマークラヴィーア・ソナタ 作品106』(2018) を座右に置いて、これまで自分が検証した諸般の事例を整理してみようと思う。


まずわれわれは19世紀に実用化していたメトロノーム解読の二つの方法について知る必要がある。はじめてこれを耳にする者にとっては青天の霹靂以外の何物でもない。

① 振り子の左右往復 (tic-tac) をもって1拍とみなす = double-beat method

② 振り子の片道 (tick) を1拍とみなす = single-beat method


現代の主流が ② であることは、あらためて言うまでもなくもないが、これに従えば、19世紀のメトロノームの数値はことごとく意図されたテンポの2倍速で演奏される事態となる。まあそのような事態にはとっくの昔からなっているのだが。(注: tic-tac は16世紀から伝わる擬音語であるが、残念なことに、メトロノームの発する音といえば「かちかちかち..」の一種類。ところでメトロノームにもいろいろある。小節の頭を知らせるベル付きの機種は生徒の練習用として重宝がられたし、変わったところでは、ロベルト・シューマンも所有していたというイギリス製の振り子式・無音メトロノームなど。)


振り子の原理による時計の歴史は古く、確か天文学者ガリレオ博士の発明だったかと思うが、古来、音楽における「拍」というものもまた二つの部分から成っているとされた。指揮者を見てみよう。振り下ろされる1拍の手の動きは、あたかも打ち下ろされた手毬同様、跳ね返り( 復り) の部分があるだろう。古代ギリシアから存在しているヨーヨーも然り。


ヨハン・ネポムク・メルツェル ( Johann Nepomuk Mälzel) が1815年ロンドンで特許取得に成功した速度計測機「メトロノーム」のからくりもまた振り子に由来すればこそ、一つの拍は振り子棒の左右往復によって完了となると考えるべきであり、上記の数値解読法のうち ① がより理に適っていることが分かる。(注: 現代でも振り子の姿が見えるスマホのメトロノーム・アプリはすばらしいのだが、音だけを追うデジタル式メトロノームでは往復もなにも、聞こえるのは tic tic tic.. だけなのだから、そこから振り子の動きを想定することもないし、半拍にすぎない tic をもって1拍とみなす要因にもなろう。) その意味でも、振り子式メトロノームの発明者自ら1816年の取り扱い説明書に「振り子棒の左右往復から成る two beats でなく、それぞれの single beat すなわち tic が1拍である」(注: 英語の原文にも tic という言葉が見える) という声明を出したことは多くの音楽家にとっては心外だったのではないか。さらにメルツェルは1821年、メトロノームの誤った使用法をしている作曲家を名指しで公表。そのなかになんとベートーヴェン、ケルビーニ、クレメンティ、クラーマー、ヴィオッティといった高名な音楽家たちがいた!しかし誰かが反論を試みたような形跡もなく、相変わらずそのあともメトロノームを double-beat method で使う人々は絶えなかったらしい。ベートーヴェンの愛弟子でエチュードの作者として有名なチェルニーをはじめシューベルト、ショパン、シューマンなどの作曲家たちも double-beat の支持者だった (と唱える研究者もいる)。


① と ② が共存していた時代に、作曲者や作曲者の側近、同時代人が書き残したメトロノームの数値ほど当時のテンポ感を探るうえで意義深い指標はあるまい。そもそもメトロノームの2種類の記載法および解読法についてその自著『古典の再生』ではじめて言及したのがオランダの音楽学者ヴィレム・レッツェ・タルスマ (Willem Retze Talsma) であった。1980年のことである。



≪ ベートーヴェンのダブルビート≫

ベートーヴェンがメトロノームの数値を与えた自作には、交響曲や弦楽四重奏曲などのほかに『ハンマークラヴィーア・ソナタ作品106』(初版/ウィーン/1819年) がある。この長大なピアノソナタの第1楽章に記された「Allegro/2分音符 = 138」をはじめ、第2楽章スケルツォ「Assai vivace/付点2分音符 = 80」やフィナーレ「Allegro risoluto/4分音符 = 144」を single-beat で弾いてみよう。ほぼ演奏困難に近い高速に唖然とする。それでも作曲者の指図に忠実であろうと努めるピアニストの名人芸がある。ただ演奏はめっぽうせわしくなる。


ではこれらの数値を、2倍遅くなる double-beat で読んでみるとどうなるか? 第1楽章「2分音符 = 138」は、2分音符のなかに 138 が往復すること (tic-tac) を示唆するから、ここで奏でられるべきテンポは「4分音符 = 138」ということになる。いたってシンプルな仕組み。しかしテンポの半減が楽想に与える影響は莫大であり、その結果、音楽の中身が勝ちえることになる豊かな味覚の密度は格別のものだ。特急列車の車窓から眺める景色と、徒歩で行く道すがら野の花と愛を語らう蜜蜂にまで目が届く状景との違いだ。


次に第2楽章の「付点2分音符 = 80」を double-beat に変換してみよう。付点音符の場合の換算はこうなる→ 80 ÷ 2 × 3 = 120 すなわち「4分音符 = 120」(または「付点2分音符 = 40」)。そしてピアニストが猛練習を重ねて格闘する最終楽章は double-beat method では「4分音符 = 144」が「8分音符 = 144」になるから、きわめて難解で混み入ったフーガもどっしり構えて弾くことが可能となる。数週間このテンポで勉強してから、試しにふたたび2倍速で弾いてみると、まるで映画の早送りを観ているような錯覚すらある。


ベートーヴェンが『ハンマークラヴィーア・ソナタ』を double-beat method で把握していたことに疑いの余地はなさそうだが、第3楽章 (Adagio sostenuto/8分音符 = 92) を double-beat で弾くと、およそ30分を要する長丁場となる。内蔵されている宇宙の深遠を想えば、別に何分かかろうと一向にかまわないが、この楽章を巡っては single-beat で弾く正当性を主張する向きもあろう。ここでさらに大きな意味をもつのがメトロノームの「可変的解読法」= variable method と呼ばれるものだ。これは音楽学者クレメンス=クリストフ・フォン・グライヒ (Clemens-Christoph von Gleich) の命名だが、この事柄に関する19世紀の歴史的文献での記載は未だ見つかっておらず、それが奇妙といえば奇妙だが、可変的解読法があまりに常識的法則がゆえに、あえて書き留めておく必要性すら生じなかったのかもしれない。



≪ 流れをよむ ≫

可変的解読法とはなにか? 音楽的見地から楽曲の全体像を検証すれば、しばしば1曲のなかに与えられたメトロノームの数値を通じて double-beat と single-beat の変換がごく自然に発生している場面に遭遇する。つまり double-beat で弾いていて、曲中のメトロノームの数値に変化が生じる際、あるいは数値上は変化がない場合でも、音楽的文脈から判断してどうしても single-beat に変換する必然性のあるケースが存在するということだ。また緩徐楽章は、拍子、リズム、音型、曲の性格、前後の楽章間との結びつき、ソナタ全体のバランス等もろもろの要素から考慮すると single-beat として解釈したほうがしっくり調和することがある。アダージョやグラーヴェの楽章がやみくもに double-beat で弾かれなければいけないのなら、一目瞭然、ときにはおそろしいほどの低速となり、単純に考えても、仮にその道理を声楽に当てはめてみるなら、歌唱可能か否かという次元で、いくら double-beat の正当性が強調されようと、低速にも限度があって然るべきということになる。


ひたすら弾き飛ばされて終わる single-beat のアレグロもそうだが、double-beat で弾かれるアダージョが間延びしすぎて埒が明かない苦境についても考慮が必須だ。列車と徒歩の比較ついでにいうと、顕微鏡の中で体験する世界旅行は、路上の小石にまとわりつく微生物を愛でる好奇心にはもってこいだが、目的地への道のりは果てしなく、旅人が眠り姫の軍門にくだるおそれは大いにある。



≪ カール・チェルニーと可変的解読法 ≫

ベートーヴェン自らメトロノームの数値を記した唯一のピアノソナタである『ハンマークラヴィーア・ソナタ』以外のピアノ曲およびピアノをともなう全作品のメトロノーム表示については、チェルニーが『ピアノ教本 作品500 』の第4巻 (ウィーン/1842年) で詳しく後世に伝えてくれたのだが、問題は彼が double-beat でベートーヴェンの作品を捉えていたのかという点にある。同著の第3巻 (1839年) には、演奏についての約束事が96ページにわたって綴られている。当然メトロノームの扱い方も懇切丁寧に譜例付きで説明してくれているのだが、われわれにとって一番関心のある double-beat にも single-beat にもふれていない。テクストを一読しながら譜例を弾いてみると、チェルニーはどうも double-beat と single-beat の両刀使いだったのではないかという疑問が頭をもたげる。つまり可変的解読法だ。


八つの譜例のうち「3/4拍子/Allegro. Tempo di Walze/付点2分音符 = 88」には「1小節はメトロノームの一打ち (ひとうち) だけの長さである」と書いたあと、これが現在使われている本当のワルツのテンポだと言い切っている。ここでの一打ちはあくまでも tic-tac であり、double-beat (1小節 = 44) を示すものと思われる。もしこのワルツを single-beat で弾かれたら目がまわってしまう。幸いなことに、1838年に舞踏家パウル・ブルーノ・バルトロマイ(Paul Bruno Bartholomay) は舞踏教則本にワルツのテンポを1分間に48から50小節であると定義している!

別の譜例「4/4拍子/Adagio/8分音符 = 92」には「1小節ではメトロノームが8回打つことになる」とあるが、これは文字通り single-beat が正しいはずだ。

さらに「6/8拍子/Prestissimo/付点2分音符 = 116」という譜例では「一打ちに8分音符が6つ入る」という説明がある。この場合の一打ちは tic-tac と tic の両方ありえるとは思うものの、この数小節の譜例にはない種々のフレージングや、16分音符を single-beat = tic の中に12個弾かなければならない状況等を想定すると、かなり無謀なスピードだ。


チェルニーが用いた「一打ち」 (= ein Schlag) という言葉が曲者だ。『ピアノ教本』第3巻が世に出た1839年といえばロマン派もたけなわ、その頃のメトロノームの一打ちは tic-tac = two beats を内蔵すると解釈されていたのか、それともすでに tic 単独であると解釈されるようのなっていたのか? この問いに関連して、ヨハン・ゾーンライトナー氏はウィーン原典版の『ハンマークラヴィーア・ソナタ』の序文で、1853年 (チェルニーが亡くなる4年前)、ドイツの音楽学者モーリッツ・ハオプトマンが、拍子の単位を「分離されない二重のもの」「二つで一つ」であると定義したことに言及している。ハウプトマンはフェルディナント・ダーヴィット (メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の初演者) やフリードリヒ・ブルグミュラーの先生だった人だ。


さて、チェルニーがメトロノームの数値を double-beat で表示したと想定し、可変的解読をせずに double-beat で弾いた場合、明らかに遅すぎるであろうベートーヴェンの緩徐楽章の例を、ごく一部だが挙げておく;

ピアノソナタ 作品2/1 第2楽章 (Adagio/8分音符 = 80)

ピアノソナタ 作品13 第1楽章 (Grave/16分音符 = 92)

ピアノ協奏曲 作品15 第2楽章 (Largo/4分音符 = 58)

ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 作品12/1 第2楽章 (Andante con moto/8分音符 = 108)

ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 作品24 第2楽章 (Adagio molto espressivo/8分音符 = 84)

ピアノ協奏曲 作品37 第2楽章 (Largo/16分音符 = 66)

ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 作品47 第2楽章 (Andante/8分音符 = 88)

ピアノ協奏曲 作品58第2楽章 (Andante con moto/8分音符 = 84)

ピアノとチェロのためのソナタ 作品102/1 第1楽章 (Andante/8分音符 = 66)

ピアノソナタ 作品109 最終楽章 (Andante molto cantabile/4分音符 = 63)

ピアノソナタ 作品111 冒頭部 (Maestoso/8分音符 = 108)
などなど..


速い楽章のなかにも、ピアノソナタ 作品57 第1楽章 (Allegro assai/付点4分音符 = 108)、ピアノソナタ 作品109 第2楽章 (Presto/付点2分音符 = 80)、ピアノソナタ 作品111 第1楽章 (Allegro con brio ed appassionato/4分音符 = 132) 等の double-beat など、にわかには信じ難いものがある。


私的な見解になるが、可変的解読法の一環として、各人が自己責任の範囲で遅すぎる double-beat からテンポを上げたり、速すぎる single-beat からテンポを落としたりするなどの試行は利くだろうから、生命の特権であるテンポ感の多様性を否定することは回避できそうだ。血眼になって手にいれた「たった一つの正しいテンポ」が水に浮かぶ泡のようにはかなく消えることもある。最終的にベートーヴェンがわずかなメトロノーム表示しか残せなかった理由が分かる気がする。われわれ演奏家はそういう作曲家の葛藤にも寄り添わなくては!



≪ シューマン夫人の葛藤 ≫

シューマンはメトロノーム表示を頻繁に行なったようだ。『トロイメライ 作品15/7』(4分音符 = 100) を double-beat で弾くと、穏やかなまどろみの醸す幽玄が身に沁みる。『子どもの情景 作品15』はどの曲も落ち着いた double-beat が合う。それなのに『幻想曲 作品17』の第1楽章 (Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen/2分音符 = 80) と第2楽章 (Mässig. Durchaus energisch/2分音符 = 66) の double-beat バージョンは、たとえ理論上は正しくとも自分には遅すぎる。しかしこれをもとにテンポを動かすことを前提とするなら double-beat は豊かな霊感を授けてくれる。『幻想曲』が単なる技巧を見世物とする音楽ではないからだ。特に第2楽章での主題の提示部における雄大なテンポ感は見事で、草稿に書かれていたという副題「勝利のアーチ」を眼前にするようだ。しかし右手にフロレスタンの鼓動の慄きが揺れ動くころには、どうしてもテンポをたぐり寄せたくなる。自制する腹を決めたはずなのに、内に秘めた静かな躍動が知らず知らず疼く。この楽章もまたテンポを揺らして幅を出すという条件つきで、double-beat は繰り返し現れる主題提示部に限ってありかもしれない。


ついでに思い出すのが『交響的練習曲 作品13』のフィナーレ (Allegro brillante/2分音符 = 66)。このまさに無垢のフロレスタンの高潮する息づかいを double-beat で弾くことは冒涜になるだろう。


1845年12月にクララ・シューマンによって初演された『ピアノ協奏曲 作品54』はどうか? 第1楽章 (Allegro affettuoso/2分音符 = 84) を double-beat で解釈すると、その極端に遅いのには辟易するが、これは情感のこもったアレグロだから (と思い直して)、冒頭の主題やいくつかの部分になら当てはめることはできるかもしれない。しかしこのテンポで全曲を弾くことは到底無理だし、不自然きわまりない。興味深いのは、1879年から14年の歳月をかけて刊行されたシューマン全集ではピアノ協奏曲のテンポに手を加えることを控えたクララが、1887年に出版された全ピアノ作品限定の改訂版で第1楽章だけ冒頭のメトロノームを「2分音符 = 69 !」に変更している点だ。もちろんこれは single-beat でしか考えられない。ロベルトの書いた「84」よりもさらに遅い「69」が double-beat であるはずがないからだ。ところが変イ長調に転調してノクターンを思わせる夢想モードの展開部 (Andante espressivo) で、クララはロベルトのメトロノーム (付点2分音符 = 72) には手を触れていない! 冒頭の「Allegro affetuoso/2分音符 = 69」を single-beat で弾いたあとの「Andante espressivo/付点2分音符 = 72」は無論、倍遅くなるべく double-beat で奏でられないと辻褄が合わない。これもごく自然な可変的解読の一例。


第2楽章 (Andante grazioso / 8分音符 = 120) のアウフタクトのモティーフ(ここでの音価は16分音符) は第1楽章のテーマからきている関係上、両者のテンポに大きな隔たりがないことを望みたい。したがって single-beat は正しいだろう。問題は第3楽章 (Allegro vivace / 付点2分音符 = 72) で、double-beat → 72 ÷ 2 × 3 = 108 すなわち「 4分音符 = 108!」(または「付点2分音符 = 38) という異常な重苦しさは絶対にありえない。幸い single-beat なら大丈夫そうだ → 72 × 3 = 216 すなわち「4分音符 = 216」。


ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社の要請でシューマン全集 (1879~1893刊行) を監修したクララが、夫の書いたメトロノームの数値が全般的に速すぎることを不審に思っていたことはよく知られている。彼女はシューマン家ゆかりのヴァイオリニスト、ヨゼフ・ヨアヒム宛ての1880年6月22日の手紙で、心友ブラームスが全集のメトロノーム表示を放棄すべきだと忠言してきた由を伝えている。ちなみに、機械にテンポを任すことを毛嫌いしたブラームスがメトロノーム表示を許した自作はほんの数曲だけだ。


クララ・シューマンの高弟のひとりファニー・デイヴィスが1928年にエルネスト・アンセルメと録音したシューマンの協奏曲を聴くと、第1楽章はクララのテンポ (2分音符 = 69)で、残りの楽章はロベルトのテンポで弾いていることがわかる。いずれも single-beat method だ。これはクララが夫の作品をおおむね single-beat として捉えていた証だといえるのではないか? もし彼女が double-beat として理解していたのなら、夫のメトロノーム表示がどれも極端に遅すぎると漏らしていたに違いない。


ロベルト・シューマンがメトロノームを double-beat method で理解したのかどうか? 自分にはなんとも言えない。そういうときも、そうでないときもあるような気がする。一つだけ言えるのは、メトロノームの数値は、それがどんなに信頼できる筋のものであっても、なにも始めから終わりまでの不変のテンポとして示されてはいないということ。



≪ 王侯のポロネーズ ≫

ショパンは初期の作品には、出版に際してメトロノームの数値を書いた。作品22の『アンダンテ・スピアナートと華麗なグランド・ポロネーズ』を見てみよう。序奏の「Andante spianato. Tranquillo/付点4分音符 = 69」を double-beat で読むと (注: 69 ÷ 2 × 3 = 103.5 すなわち8分音符 = 104)、あたかも波の立たない静寂の水面を思い起こさせる。さらにショパンが弟子カミーユ・デュボワ=オメアラの楽譜に訂正して書き入れたという「付点4分音符 = 63」はいっそうゆるやかになる。これをもし single-beat で読まなければいけないとすると、こまかい装飾音符がきらきらと美しい17小節、41小節、43小節、49小節、あるいは右手に2声体が現れる45〜47小節での忙しさはまるでカリカチュアだ。まあそういう場所で急ブレーキを踏んで乗り切るのはピアニストの常套手段だし、それもありなのだが..


続く『ポロネーズ 』の「Meno mosso/4分音符 = 96」は single-beat なら速すぎるし double-beat はこれまた遅すぎる。それでもあえてどちらかを選ぶならdouble-beat だろうか。そこから自分の流儀でテンポの修正をしたい。少なくともピアニッシモでの細かい装飾音符のさざなみがきらきら光るパッセージでの「4分音符 = 96」double-beat は絶品。われわれはポロネーズがもともと王宮にだけ許された荘厳でゆっくりな舞踏であることを知っている。


作品10と25の『エチュード集』も半分のスピードということになるから、幾多の難曲、たとえば作品10/2「Allegro/4分音符 = 144」や作品25/6の3度のエチュード「Allegero/2分音符 = 69」がずいぶんと身近になるだろう。だからといって決して簡単になったわけではないのだ。むしろその反対。実はゆっくり弾いたほうがはるかに難しい。音楽にとって遅いテンポはメリットのほうが大きいという真理。そして現代の過剰にスピードアップされた競技感覚の演奏のもたらす軽薄と空虚。自省も含めて..


ついでにショパンのノクターンの作品15/2 (Larghetto/4分音符 = 40)、作品27/1 (Larghetto/2分音符 = 42)、作品27/2 (Lento sostenuto/付点4分音符 = 50) など、 double-beat で弾かれるなら完璧比類なきテンポとなる最上の例として挙げておく。


ところで、ショパンにも可変的解読法は適用できる。例えば『ピアノ協奏曲 第2番 作品21』の第2楽章 (Larghetto/4分音符 = 56) を double-beat で非常にゆっくりと弾くことは十分考えられるが、弦楽器のトレモロを背景に劇的なレチタティーヴォを展開する変イ短調の中間部 (45小節~72小節) だけ single-beat に変換してしまうというもの。ショパンは中間部で一切のテンポの変更を指示していないものの、和声の構成とその切羽詰まった情感からここでは single-beat しかありえない。そのあと2小節のカデンツァを経て音楽はまたもとの double-beat で再現部に戻っていく。


1833年ごろ作曲された『四つのマズルカ 作品24』の第2曲 (Allegro ma non troppo) は、メトロノーム表示のミステリーとしても知られる。自筆譜で「4分音符 = 192」と書かれていたものが、1835/36の3種類の初版 (仏/独/英)では「4分音符 = 108」に改められたのだ。一見、不可解にも思える半分に近い減速。しかし「4分音符 = 192」を double-beat (192 ÷ 2 = 96) で読んだとして、作曲者はわずかに速めの「108」を最終稿とした (?) と考えれば違和感はない。チェルニーのところでも考察したが、1830年代には double-beat で考えたものを流行の single-beat に書き直すことは作曲家にとって当たり前のことだったのかもしれない。



≪ 初見と仮説 ≫

いろいろ調べてみて (まだほんの部分的にすぎないが) 断言できることは、double-beat で読めばどんな難曲でも譜読みできない曲はないということ。延々とつづく3連符連打の猛攻でピアニストたちを恐れさせてきたシューベルト の『魔王』も、最終稿に記されたメトロノームの「4分音符 = 152」を double-beat で読むなら、どんなピアニストでも初見で弾き通せるだろう。しかも、それによって8分は優に超えるミステリアスな物語となったこの作品の真の威力は、2倍速で演奏されたときの喧騒な競馬の比ではない (可能性もある)。もちろん歌手の技量がものを言うが、ここでもテンポは伸び縮みがないといけない。倍遅い「152」を微動だにしないような機械的な演奏があるとすれば、もはやこの世のものではない。ちなみに、『魔王』が作品1として自費出版されたときに、メトロノーム表示は印刷されなかった!


『交響曲 第5番 作品67』に記されたベートーヴェン自身のメトロノームの数値を double-beat で読むと、ずいぶん減速された第1楽章 (Allegro con brio/2分音符 = 108) ではのろのろと不気味に扉を叩く無数の運命のノックに戦慄さえおぼえる。攻撃的な威圧感は消え、底知れぬ寂寥感に広がる草原が出現する。


かつてオーケストラはみんなアマチュア主体だった。音楽家といえば、レッスンの出前をするか宮仕えをして辛うじて生計を立てた時代である。職業音楽家を育成する音楽学校の先駆けとなるパリ音楽院の創設が1795年のこと。当時の合唱団もオーケストラも技術面での水準は統一されていたわけではなく、しかもオラトリオや交響曲など大きな演目が企画されても、必ずしも十分なリハーサルが行われるとは限らなかった。


1808年12月22日、ウィーンでベートーヴェンの『交響曲 第5番』『田園交響曲 作品68』『ピアノ協奏曲 第4番 作品58』とともに初演された『独奏ピアノ付き合唱幻想曲 作品80』は、当時の新聞やアントン・シントラー の証言によれば、ソロピアノを受けもったベートーヴェンの序奏部の即興演奏 (楽譜を書いてる時間がなくなってしまったらしい) のあと間もなく管楽器の掛け合いのミスからめちゃめちゃになり、挙げ句の果て作曲者が絶叫し(!)、最初からやり直しとなった。リハーサル不足が原因だったのだが、こんな長いプログラムである、暖房もない真冬の会場で演奏者も聴衆もさぞかし辛かったことだろう。


1824年5月には合唱付きの『第九』が2回の通し稽古だけで初演されたことにも驚くのだが、現場の混乱は想像に難くない。作曲家側からみれば、作品の編成のほかに、楽曲のテンポには宿命的な制限があったに違いない。ベートーヴェンがメトロノームの発売とともに、その時点で完成していた8番までの交響曲のメトロノーム表示に踏み切った理由は、平均的オーケストラの楽員が初見で弾けることと、音楽として機能できる最低限のテンポを保証したかったからではないだろうか。当然その表示が double-beat にもとづくと仮定しての話だが。


ショパンの例でもわかるとおり、『エチュード集』『華麗なグランド・ポロネーズ 作品22』『ピアノ協奏曲』でのメトロノームの数値は double-beat として読むなら、多かれ少なかれ、楽譜を購入した人たちが全曲に取り組むことのできるテンポであるという意味で指に優しい。職業ピアニストならいざ知らず、深窓の令嬢がメトロノームをかちかち鳴らしてみて演奏困難だと気づくときほど不満の募ることはない。作曲家だって新曲が完成すれば、それが世に出るよう心を砕いて出版社との交渉に執心しただろうし、そこで要求されるメトロノームの数値は、ある程度は買い手に譲歩することもあったのではないか? こうして魔の計測機はじわじわと浸透していき、作曲家のメトロノーム表示も義務化していったのだと思う。それでもショパンはいつもメトロノームにこだわっていたわけではなく、中期以降の作品ではメトロノームの表記をいっさいやめてしまった。あっぱれ!



≪ イローナ・アイベンシュッツ ≫

マルセル・モイーズは「アレグロを遅く弾ける人ほど名人だ」というアルベルト・シュヴァイツァーの至言を引用しているし (高橋利夫著『モイーズとの対話』全音楽譜出版社)、また遅すぎる緩徐楽章では歌うことができないという趣旨のことを語っている。これまでにレコードを通じて体験したパウ・カザルスの奏でるアレグロには悠然とした空間が広がっていた。彼がミエチスワフ・ホルショフスキと弾いたベートーヴェンの『ピアノとチェロのためのソナタ第5番 作品102/2』の忘れられない演奏がある。ことに第2楽章の Adagio con molto sentimento d‘affetto は白眉で、冒頭、人生のコラールが噛みしめるような double-beat に始まり、昔日の幻影だろうか、淡い光が降り注ぐニ長調の中間部で拍節はしずかに前へと動き出す。カザルスの音楽は生きものだから、1小節たりともメトロノームで測ることはできない。


グレン・グールドは通常より倍速かったり倍遅かったりというエキセントリックなテンポ設定で有名だったが、『ハンマークラヴィーア・ソナタ』では、第1楽章をわずかに double-beat を上回るテンポで弾いた録音 (1970年) が残っている。ショパン存命中の1849年生まれのウラディミル・ド・パハマンにも double-beat に近い感覚で弾かれたショパンの『エチュード 作品10/1』の1911年の録音があり、ゆるやかにたゆたう音の波がはらわたに沁みる。


晩年のブラームスと約10年間にわたって親交のあったハンガリーのピアニストでクララ・シューマン門下のイローナ・アイベンシュッツは1894年、23歳のときブラームスの『ピアノ小品集 作品118』と『ピアノ小品集 作品119』をイギリス初演したことで知られるが、1903年には『バラード作品118/3』を録音していて、そのほとばしる激情に身を任せてしまう演奏は印象深い。作曲者が亡くなって6年後の録音だという事実にも震える。彼女が1952年に BBC のラジオ番組でブラームスの回想を語り、そこで嫋やかに流れ出す『バラード 作品10/4』(Andante con moto) や、同じころ録音されたらしい『インテルメッツォ 作品119/2』(Andantino un poco agitato) の即興演奏かと思うほど自在なフレージングに心を奪われる。まるでお話ししているような演奏だ。アイベンシュッツはブラームスの自作自演を頻繁に身近で聴いた人だけに、1926年にミュージカル・タイムズ紙に綴った次の言葉にはブラームスの音楽の真髄が詰まっている。

"Brahms played as if he were improvising, with heart and soul, sometimes humming to himself, forgetting everything around him. His playing was altogether grand and noble, like his compositions."


クララ・シューマンは1894年のブラームス宛ての手紙で、アイベンシュッツはどの曲も速く弾きすぎると書いたが、おもしろいことに、ブラームス自身はアイベンシュッツほど自分の音楽を正しく解釈してくれるピアニストはいないと公言していたらしい。6歳でフランツ・リストと連弾したほどの神童だった彼女は、29歳で結婚を機に演奏活動を退いてしまう。現存するレコーディングは数曲だけ。半世紀を経て、1952年の BBC 出演のあと、アマデウス弦楽四重奏団とブラームスの『ピアノ五重奏曲 作品34』を演奏したとき81歳だったというから驚く。


アイベンシュッツの十八番だったシューマンの『交響的練習曲 作品13』(作曲者のメトロノーム表記あり) はつくづく実演を聴いてみたかったと思うが、彼女のテンペラメントで double-beat (半分のテンポ) は絶対なかっただろう。


おそくとも19世紀後半から20世紀初頭、メトロノームの single-beat は常識化していたものと思われる。ドビュッシーがメトロノームの数値を与えた『映像 第2集』の3曲のうち『金色の魚』(Animé/4分音符 = 112) は初演者のリカルド・ヴィニェスの録音から single-beat が作曲者の意図するところだったことが分かるし、ラヴェルの『水の戯れ』(Très doux/8分音符 = 144) も作曲者を知るピアニストたちの証言や演奏から single-beat の正当性が証明されている。このように、時代は着実に single-beat への変遷を迎えたのだった。


(追記: 1990年代はじめ、滞在許可書の更新に行ったバーゼルの外国人警察で、横柄な態度が鼻につく官吏を怒鳴った私はスイス国外退去となり、数カ月間、オーストリアのブルーデンツからさらに山奥に入ったところにあるベネディクト派の聖ゲロルト修道院でミサのオルガンを弾きながら居候していた。12月の寒い晩、食堂の隅に置いてあるピアノで、数名のお客さんを前にブラームスの『ワルツ集 作品39』『三つの間奏曲 作品117』『ピアノ小品集 作品118』などを弾いたときのこと、ザルツブルクからご子息とお見えになっていた老紳士に話しかけられ、一杯やりながら談笑しているうちに、彼の名をアイベンシュッツといい、20余年前に亡くなった伯母はブラームスに寵愛されたピアニストだったとおっしゃったときには椅子から転げ落ちそうになった。)



≪ 臨機応変 ≫

音楽のテンポに絶対ということはない。メトロノームの数値はあくまで目安だから、そこにプラスマイナスがあって当然だし、もし19世紀のメトロノーム表示と照合してみたいのなら、照合するがいい。それが double-beat にせよ single-beat にせよ、自分にぴったりくるかもしれないし、そうでないかもしれない。だからといって悲観するわけでなし、そこからいくらでも自分の肌で感じるテンポを探求することができる。音楽史全体を見渡すと、メトロノーム表示のない曲のほうが断然多い。それにこれだけ奇談に事欠かない測定器のこと、もうとっくの昔に愛想をつかした作曲家も大勢いたことだろう。


(追記: 自分自身ここ30年でメトロノームを使ったことは皆無だった。先日、楽器屋さんの店頭に置いてあったドイツ製の振り子式・超小型メトロノームを見ていて、幼少時代をなつかしむあまり衝動的に買ってしまった。仕方ない、酒の肴に遊んでいる。)


バルトークは自作の部分部分に演奏時間を記入することで、メトロノーム以外にもテンポの正確さを伝える手段があることを証明したパイオニアのような作曲家だが、彼の自作自演の録音を聴けば、いかに楽譜に書かれたテンポ表示と演奏時間が無視されているかが分かるだろう。敬愛する人物のこういう矛盾は手放しで嬉しい。


生きた音楽とはまさしく臨機応変に、一回一回が客観的領域を超えた己れの主観で究明されたものでなければいけないから、なにかに服従しなければいけない要素ほど主観を発揮する妨げとなるものはない。


ある時メトロノームの数値を依頼されたドビュッシーは「厳密には、1小節ずつ新たなテンポ表示が必要となるからメトロノームは不可能」と返信しているし、晩年のベートーヴェンもついに癇癪を起こしたらしい。「メトロノームなんて悪魔にくれてやる」と叫んで暖炉へ投げ込んだという逸話はこの人にふさわしい。


テンポが正確なだけでは音楽の全容を網羅したとはいえないのだ。厳格な「学術」の名義で、終始テンポの精密さ一点に気を取られて奏でられる四角張った音の束は枯骸のように冷たく、ゾッとする。


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